活撃 刀剣乱舞 総評

ツイッター投稿用に140字段落で書いたので、読みにくいです。

あと内容も厳しめです。

 

 

まずは何度も語ったように、「かれらは日本刀の化身である」という説明の描写はぜったいに必要だった。顕現シーンだか変身シーンだか、そんなのだ。アニメーションの得意表現だろうに、なんで省いちゃったかな。おかげでファン以外には意味不明なところが多く、布教しにくい作品になってしまった。

 

次。刀装展開がいっさい描写されなかったのも残念だ。合戦のような描写がなされるかな? と、実はすこし期待してた。まぁでもこれは物量的に難しいんだろうなと思う。それに集団戦よりも個人技の描写にしたほうが良いんだろうなってのもわかる。だからここは、やや残念という程度。


で、第一部隊は脇役だ。登場時間が少ない。それでも彼らの魅力を見せるならば、数ある魅力のうちの一個だけを抜き出すのが一番いい。三日月の格好良さ、骨喰の良い子さ、山姥切の真面目さ、大典太のこわさ、源氏兄弟のきれいさ。ここに関してはたいへん楽しい思いをさせてもらった。

 

弊害として、三日月は怪しいキツネ目の男になってしまったし、骨喰はやけに感情豊かで、山姥切からは写しの卑屈さが消え、大典太は風紀委員みたいな性格に、源氏兄弟は見た目以外の存在感が無くなってしまった。それでも、生かしきった部分と相殺できてたと私は思う。彼らは主役じゃないから。

 

だからこそ、第二部隊の描写には批判が入る。たっぷりと尺があったんだから、もっと誰もが彼らのことが好きになるような、面白い描写は可能だったのではないか。とくに薬研。ゲームにおいて薬研に人気が出た理由は、彼が、美しく物憂げな美少年では『ない』からだ。ここはファンを逃した部分では。

 

彼は見た目の美少年っぷりをキッパリと裏切る性格づけに人気が出た。ここの表現が180度逆になってた。もったいない。これは改変がまずいって意味じゃなくて、『改変が生きてないのがまずい』という意味です。せっかくの改変がなんの効果もあげてなかった。戦闘シーンの表現は良かったんだけど。

 

でも戦闘で語られる性格という見方なら、第一部隊のほうが素直だった。美少年キャラで視聴者の人気を取りたいなら、薬研と骨喰を入れ替えたほうが良かったんじゃないか? 第2話の不愛想振りも、骨喰なら納得できる。というわけで、薬研への読み違いというか、効果のあげそこねは不満だった。

 

そしてストーリー。成功した出陣はアッサリ描写で、失敗をふくむ出陣はコッテリ描写。このせいで『たまに成功するが、よく失敗をやらかす、職業能力の低い者たちの物語』という印象になってしまうのが残念過ぎる。いっそ全員が新人という立ち位置でも良かった。それなら失敗は経験の描写となる。

 

しかもストーリー最大のヤマが、堀川という仲間の堕落。まさか『活撃』と題するアニメで、活躍して撃破する物語ではなく、身内どうしの内ゲバを見せられるとは思わなかった。しかも面白くない。繊細そうな性格のキャラを選び出し、そいつを欲望に負けさせるだけの、鬱系のマンネリズムに思えた。

 

なぜマンネリを感じるかというと、堀川をしっかりといじめてないからだ。彼をエピソードで殴打して、僕はいやだ! もう誰も死なせるもんか! ってな心の声を感じさせるべきだった。それが無いせいで私は、堀川と一緒に傷つくことができなかった。もったいない。堀川といっしょに傷つきたかったなあ。

 

つまりほかのキャラのシーンを削ってでも、堀川にぐっと焦点を絞るべきだった。それができないのなら、そういうストーリーをつけるべきじゃないと思う。鬱系の話ってのはぬか漬けに等しく、濃い塩と発酵時間をきかせないとただの生野菜だ。味気なくて美味しくないどころか、カビが入ってまずい。

 

あと兼さんについて。長髪の美形キャラを葛藤させよう、という発想自体は良いと思うんだ。さぞかし色気があるだろうと思えるし、実際に色気の片りんは見えた。ただし彼は主人公だ。主人公ってのは、物語が提示する困難に対して、解答を示し続ける義務がある。ここが欠けていたと思う。


ルフィは馬鹿ゆえの中心を突いたセリフを言いつつ敵を殴り続ける。ドラえもんは、のび太がどれだけ失敗しようとも秘密道具を出し続ける。すべて困難に対しての解答。必ずしも正解でなくても良い。とにかく次々と解答し続ける。そうしながら物語を引っ張る。これが主人公の大切な役割。

 

でも兼さんの言動は逆だ。まず解答をほとんど出さないし、また出した解答が普通すぎる。逆だ。街を砲撃した遡行軍に対して怒りのオーバーキルをかまそうが、腹の読めない三日月にカンチョーしようが、寝言をぬかす堀川をぶった斬ろうが、別にかまわない。間違った解答でもいい。

 

なんらかの手法でとにかく解答する。解答の正誤、善悪、快不快によって、物語が表したい価値観を語る。これをしなかったもんだから、主人公としては弱くなった。物語の指針を示せない、不甲斐ない人に見えてしまった。状況に流されるだけ、みたいな。主役格として物語を表現できてなかった。

 

陸奥守は良かったな。司馬氏に洗脳されて竜馬を信仰している、多くの日本人に通じる物語を演じてくれたと思う。蜻蛉切も良かった。戦国武士のステレオタイプが丁寧に表現されてた。で、噂に聞いていたとおり、アクションシーンは見事だったから、それを生かしまくる物語にしてほしかったなあ。

 

あの美麗なアクションを生かすドラマって、そんなに作りにくいもんか? なんで美麗なアクションを殺すようなドラマを作ってしまったんだ? 魅せるべきものがあるのなら、それ以外の部分はシンプルに作るべきじゃないか? 凝ったものに凝ったものを混ぜると、クドいだけじゃないか?

 

あたかも、素材と料理の腕は良いのに、へたな工夫を加えて失敗した、オカンの創作料理のような印象でした。ある部分は120点なのに、ある部分は3点、みたいな。脚本に真面目なものは感じるんだけど、かじ取りを失敗したような印象を受けます。総じて69点くらい? もっと面白くできたと思う点数。

 

たいがいボロクソに書いてしまった気がするが、いやほんと、惜しいと思うんだ。これ確実に面白くなったのに! って気がするんだ。勿体なくて勿体なくて。

 

 

 

舞台『刀剣乱舞』虚伝 燃ゆる本能寺(初演)感想

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まずパッと見て思ったのは、舞台が上下に分かれてるのは良いなということです。これによって場面転換に暗転を置く必要が減ります。暗転は客にとって気持ちの切り替え時間になりますが、同時に、現実に引き戻されてしまう時間にもなるので、なるべく減らして欲しいところなのです。ですがこの舞台、上下を分けて使えば、場所の変化、時間の変化を一発で表せます。また上下をひとつの場所と設定した場合、視線に縦の動きが加わって飽きません。これ劇場で殺陣を見た人、面白かっただろうなあ。

 

そして歌って踊るOPが始まりますが。これ申し訳ないんですが、私には余計でした。アニメのOPっぽい演出を意識してたんでしょうかね? 観客のほとんどのお嬢さんには違和感は無かったんでしょうけど、私には違和感がありました。私がそれを見るためにはスイッチの切り替えが必要なんです。舞って歌う世界と、演じて生きる世界は別モノなんです。スマンがいりません。『劇』を見せてくれ。

 

で、元々、不動行光の設定は難しいものでした。『酒気帯びの子供』というのは、リアル世界には存在しません。……いや、厳密には居ますし、私は荒れた家庭で育ったせいで酒を好む、不動くらいの子供と仲が良かったことが有るんですが、まあ普通は居ません。つまり、不動は、この世に無いものを演技しなければならない。

 

モデルが居ない存在です。不動は大げさに言えばファンタジー的なキャラ付けなんです。想像上にしか居ない存在です。ここをどう演技するのかは、観劇前から気になってました。結果、ちと残念でしたねえ。不動がときどき中年男性に見えました。子供属性が消えてたと思います。もっとテンションがひたすら高い、猿みたいな子供で良かったんじゃないでしょうか。

 

この不動の演技が、演出家の指示によるものか、役者さんご本人の意思かは不明なんですが、酔っぱらいにもいろいろいます。子供のようにかわいらしくなる酔っぱらいも居ます。あんな、いかにもドラマに出てくるお父さんみたいな酔いかたのほうが、むしろ数的には少ないかもしれません。もっと酒場に出かけて、酔っぱらいのサンプルを集めてみるべきだったんじゃないかなあ。

 

このちぐはぐさのせいか、笑いが取れそうなところを逃してます。勿体ないですねえ。最初の山姥切との対面シーンとか、もっと笑いを取れたと思います。また客を笑わせることができたら、客はもっとグッと不動を好きになり、感情を移入させ、彼の苦悩を理解したと思います。これが得られなかった。『かわいい酔っぱらいの不動くんに、客として感情を乗っける』ということができなかった。これが勿体なかったです。

 

演劇というのは、観客の感情のツボをどれだけ刺激するかが勝負ってところがあります。おはぎの宴は笑いましたが、理想を言うなら、あのアドリブ的な間を、もっともっと演技として自在に使いこなしてほしかったです。できるシーンは多くありました。だから笑いに関しては残念です。

 

けど、悲しみの部分は良かったです。パンチ食らって自虐セリフを吐く長谷部は哀れだったし、近侍職がうまくいかなくてションボリする山姥切は可哀想でした。見てて心がふっと動きました。この感覚が気持ち良いんです。それまでの私の視点は、その世界を上から見守る神の位置だったのが、地上に降りて人物たちに寄り添う天使の位置になれます。客は感情が動けば、客席と舞台の距離をぐっと縮めます。

 

カメラワークも何もない芝居の世界は、テーマも世界観もすべて役者が説明します。自然、セリフはクドくなってしまうのです。このクドさに注目すると、いろんなことが見えてくるんですが、最初は良かったですねえ。脚本における自然なセリフの書き方。それを語る三日月。山姥切をはげます三日月の演技は、とても自然に納得できました。クドさは感じませんでした。

 

上記、三日月と山姥切が語りあうシーンで充分だったので、のちに山姥切が不動のまえで、三日月のセリフを思い出すのはクドく感じました。ましてや音声まで再生されたら、ちょっと失笑するような感じがして、クドかったです。ここは、ハッと思い出したように月を見上げる、程度で良かったんじゃないかしら? ……って言っても、演劇でこのクドさをぜんぶ消すのは無理ですからねえ。欠けてるよりはクドいほうがマシですし。このへん、ほんと難しい。むしろこの芝居は良いほうです。まだ、さらっとしてる。

 

で、歴史上の出来事を、人間役の人らが演じつつ説明してくれて、それに男士たちが絡んでいくという作りが、本当に上手いと感じました。知らない人には分かりやすく、知ってる人には「ど、どうなるの?」というワクワク感がわく。この構図を思いついてくれて有難うという気分です。

 

薬研と宗三のやりとりも、まあクドいといえばクドいんですが、その直後に全員集合で総括シーンが始まりましからね。これで払拭される。そして……蘭丸にすべて持っていかれるw あああ面白い! 蘭丸のあまりの悲しさに、あたかも刀剣男士が悪役のような立場に! 構図逆転が面白い!

 

殺陣の連続はもう言うまでもない。見ているこっちの息が詰まる。よくあんなふうに動けるな! 私があんな風に動いたら動悸・息切れで死ぬな! で、やっぱり不動がもったいないです。初期に好感をつかめなかったことが響いてます。彼の熱演にうるっとは来るんだけど、冷静な自分が残ってしまいます。不動は、私という客に、心地よいかんじを、ちっとも与えてくれないなあと。いきなり悲劇かよと。

 

ていうかまた殺陣か! もうずっと殺陣じゃん! フルマラソンかよ! 死ぬ、見てるこっちの呼吸が死ぬ、気持ちいいけど死ぬ! ……と、殺されそうな気分になりつつ、歴史物語の終わりを見つめるのです。『ネタバレ・蘭丸は死ぬ。信長は死ぬ。光秀も死ぬ』が、深い深い余韻となってホッと心が静まっていきます。

 

カーテンコールは省きます。いやー面白かった。とてもとても安定した物語だった。50モヤシーも払った甲斐はありました。あと間違えて低画質版を買ってしまって泣きそうだったがもういいです。満足満足。みな男士として素晴らしかった。アンサンブルもなにげにカッケーしな! あと個人的に、一番男士っぽい賞は小夜左文字。

 

同人誌『蛭子神の夢』第2版をCQ-WEBにて販売予定です。

 

年齢認証 | CQ-WEB

・大包三日です。
・大包平と三日月宗近が、山中サバイバルに追い込まれます。
・年齢制限はありませんが、きっちりとBLです。

webに公開済みの表題作に加え、書下ろし二本が含まれます

1、蛭子神の夢
2、三日月が語る『大包平の君物語』(書下ろし掌編)
3、山伏国広の山籠もり教室(書下ろし短編)

 

いや……1版は宣伝する暇もなかったのです。瞬殺につぐ瞬殺でして。

映画「BLAME!」感想

遠い昔、機械が暴走したそうです。
機械は建物を作り、また建物を作り、ひたすら建物を作り、とにかくどんどん建物をこしらえていき、建物は上に伸び下に伸び、横に広がり、地球を覆いつくし、宇宙を覆いつくし、太陽系を覆いつくし、もはや地表と呼ばれる場所がどこにあるのかさえわかりません。
建物を守る機械は、人間たちを、建物への違法居住者として殺すようになりました。
現在、人間という生き物は蟻くらいの扱いでしかなく、数も減りました。
果てしない建造物宇宙のどこかに、いろんな小集団があるだけです。

 

ある人間の村が、食糧危機に陥っていました。
子供たちは勝手に食糧採集に出かけましたが、敵ロボットに見つかってしまいます。
なんかめっちゃキモい大量のロボットが、わらわらと襲ってきます。とにかくキモい。
危機に陥った彼らですが、通りがかりの旅人に助けられます。

 

旅人は名を『キリイ』と名乗ります。
虚無的な雰囲気のイケメンで、めちゃくちゃすごい銃を持っています。
彼は『ネット端末遺伝子』なるものを探しているそうです。
子供たちはそれを持っていませんでしたが、村の大人がなにか知ってるかもしれない。
子供たちはキリイを村に連れ帰ります。
そして老人の説明を受けます。それによると。

 

ネット端末遺伝子は、大昔の人間が持っていたもの。
それがあると、人間は機械の暴走を止められる!
まあ夢のような話なわけです。
それを語った老人は、どこでそんな話を聞いたのかというと、村の下のスペースだそう。
キリイはそこに向かいます。そして……。

 

ってなわけで、BLAME!の世界に、シンプルなストーリーをくっつけて、わかりやすくしてあります。
そもそもBLAME!のストーリーって、

 

「霧亥がネット端末遺伝子を探す」

 

だけですもの。
巨大構造物が主役で、霧亥はそれの案内人みたいなかんじでした。
だからあの、とにかく無限に広がる構造物の世界を見られればいいなあ、と思いつつ、映画館に出かけました。
結果、おもわぬ副産物というか。
霧亥が異様に格好良かったり、重力子放射線射出装置の爽快感が異様にすごかったり、シボの安心感が異様だったり。
そういう、映画化されて良かった点がいっぱいありました。
あと、霧亥を踏むサナカンに萌えました。

 

逆に不満な部分も有ります。
世界があんまり絶望的じゃない。明るくて、移動距離が短くて、空が近くにあるような印象を受けました。
サナカンが可愛くていやでした。人が好意を持つことを一切ゆるさないような、厳しい雰囲気がありませんでした。

 

とはいえ、やはり、完璧ではないにしろ、あの世界っぽいものを見せてもらえたのは嬉しいです。完全でなくとも近いモンはあった! だいぶ近かった!
嬉しかったです。

 

映画「美女と野獣」感想

昔、イケメンの王子が、調子こいて税金上げて、パーティー開いてブイブイ言わせてました。王子のゴーマンっぷりはひどくて、雨宿りにきた哀れな老婆をあざ笑い、追い返すほどの勢いです。
ですがその老婆というのは、様子見に来た魔女だったわけです。当然、魔女はめちゃくちゃ怒り、ゴーマン王子に呪いをかけます

 

1、王子はイケメンじゃなくて、悪魔じみたルックスのビーストになるよ
2、使用人たちは日用品になるよ
3、城とその周囲は冬になるよ
4、領民から王子の記憶は失われるよ
5、一本の薔薇が枯れたら、おまえらの呪いは永遠に解けないよ
6、以上は王子が誰かから愛されたらキャンセルされるよ。これ男女の愛な!

 

と、なかなかにキツい呪いですが、理にかなっているのです。

 

1について。王子は顔はイケメンだけど、オトンが厳しかったせいで性格がコミュ障です。ルックスの美が失われると非常に不利です。地位とか財産とかはありますが、領民がいない今は使いどころが有りません。強いて言うなら、オカンゆずりの身内びいきな親切さはあるようです。そこを見出し、育てなおしてくれる女の子が必要なのです。

 

2について。使用人たちは、王子に忠実な働き者だったのですが、忠実ゆえに彼を放置して甘やかし、耳に痛い進言をいっさいしてきませんでした。それゆえに日用品にされたのです。必要なのは、王子の意思を無視してでも彼のためにふるまうこと。彼らは反省してますが、でも、肝心の女の子が来なきゃ挽回のチャンスもありません。最初から、女の子いらっしゃい! 女の子ウェルカム大歓迎の状態です。

 

3について。美しい城は冬に閉ざされ、周辺に狼が出没する危険地帯です。薔薇の花びらが落ちるたびに、城のどこかが崩落していきます。こんな城に意味があるのかっつー話です。暗いところに閉じこもった状況を打破せねばならんのは、心も城も同じだってことです。

 

4について。領民は支配者を失ったせいか、同じルーチンを繰り返す愚民と化しています。変化を求めず、女に学問は不要と考え、安易な扇動にすぐに騙されます。ガストンとかいう中味カラッポのイケメンが居るのですが、この悪役の語る陳腐な英雄譚に振り回されています。つまり、アホはアホに騙されるのです。彼らはカシコを馬鹿にした報いとして、王やヒロインといったカシコをみずから失い、永遠の愚民と化す瀬戸際です。

 

5について。美の象徴から、一枚一枚、そのかけらが剥がれ落ちていくわけです。いったい薔薇を生かすってのはどういうことなんでしょうな? 薔薇を大切にするってことは、単に薔薇を所有して、保持すればいいってことなんでしょうかな? と、暗喩的です。

 

6について。愛にもいろいろ有りますが、恋愛を持ってきたところがミソですね。他人と他人が、つまり違うものと違うものが、互いの中に美点を認め合わなければ、恋愛は成立しません。ルックスや財力も、美点のひとつではあるのだけど、そればかりに頼って振り回せば、ただの迷惑な欠点と化します。かつての王子や、現在のガストンがやらかしてることです。

 

と、この前提条件で物語はスタートを切ります。
あとはレースを見るような感覚ですな。いかにして城は女の子をゲットし、いかにして使用人は女の子を推し、いかにして王子は女の子の歓心を得るか。障害としてガストンがあらわれ、愚民があらわれるけど、それをどうやってかわすか。
よしバトンがつながった! よし条件クリア! と、ピタゴラスイッチを見るような面白さでした。あらかじめ明らかになっている関門とゴールを、どんどんと走り抜けてくれる展開です。
 
で、これは視点を俯瞰に持ってきた感想です。
ヒロインに寄りますと、これは女の子の成功譚となります。退屈な日常から脱出したい女の子がいる。まわりは本も読めないバカばかり。だけど彼女は日常と戦い、鬱陶しい悪役をかわし、父を助け、ついに野獣という、文学論をまともに語り合える友を得るのです。悪役の悪意が野獣に向けられると、またそれを止めるべく駆け付ける。最終的には、「必殺技:敬意を愛にパワーアップさせる波」で彼を救う。つまりヒロインが得るのは恋人というよりも、永遠の相棒、パートナーなわけです。
野獣に寄りますと、実はシンデレラストーリーになる。不幸な子が居た。その子には、醜くなるという試練が与えられた。野獣を救うのは王子様ならぬヒロイン様の愛だけ。野獣は耐え続け、待ち続け、ついにヒロイン王子を得る。美しい彼女の愛で彼は救われ、結婚して王になる。
 
たぶん中心となるのは、野獣のシンデレラストーリーという王道プロットで、王道でありながら逆転している。でも王道だから安定感がすごい。そこにキャラを足すたびに、整合性をきっちりと取っていったんだろうな、という気がします。
これ一人じゃ作れないカタチだよなあと。脚本の時点で、何人の視点が入ってるんだろう。
 
あえて深読みしてみましたが、素直に歌と踊りと美術の美しさに酔うのが良いと思います。面白かったです。
 

映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」感想

人間の脳みそを機械の体にぶっこんだ女性が主人公です。その体は美人な白人女性で、めちゃくちゃ強いのです。生ける兵器と化した彼女は、しかしアイデンティティに悩みを抱えています。自分は人間なのか、機械なのか、自分はいったい何者なのか。

彼女はアメリカンな日本において、公安9課という、武闘派スパイ組織みたいなもんに所属しています。そこでとあるテロリストを追っているのですが、そのテロリストってのが、主人公の体を作った会社に恨みを持っているらしく。そんなやつなのに、なぜか記憶がうずいて親しみを覚えてしまう。

調べれば調べるほど、テロリストに近づけば近づくほど、会社への不信感はつのるし、テロリストには惹かれてゆく。ていうか真相がわかってみると、会社はとんでもない犯罪をおかしてました。主人公は許せんものを感じます。彼女は色々調べて、同時に自分自身を取り戻すのです。

で、ここまで書いたら、なんで不評なのかも分かるかとw ベクトルが逆です。攻殻ってのは最終的に、主人公が人間であることを捨ててしまう話です。「私は何?」という問いに対して、「おまえは世界だ」という問いを返す。それを言葉だけでなく、具体的に実践してしまう。

アニメ映画版をネタバレしますと、敵の正体はネットに自然発生した意識体で、主人公はそれと結合(結婚)して肉体を捨て、ネットの神のようなものになります。自己の意識が果てしなく拡散されて、無限に広がるようなオチの爽快感が気持ちよく、だから私は好きでした。

ですがこちらの映画はけっきょく、人間が人間のままであることを大肯定してしまう結論です。主人公のアイデンティティは、一人のとある具体的な人間の人格として落ち着きます。そりゃ別の話です。ヒューマニズム的には良いオチなんでしょうが、SFとしては失敗です。

決定的に「この映画わかってない!」と思ったのは、エンディングに「謡」を流しよったときです。結婚できなかった映画に結婚の歌を流してどうする! 嫌味か! そんな、クリスマスの喪男マライア・キャリーを聞かせるような真似をするんじゃない! と思いました。

SFってのはやっぱり、構築された理屈の美しさで魅せてくれるのが良いと思います。ヒューマニズムでは駄目です。見て、「な、なんて圧倒的な美しい理屈なんだ! 不謹慎なのに洗脳された!」と思わせて欲しいのです。それが有りませんでした。圧倒されませんでした。

そういう意味ではかつて見たマトリックスのほうが攻殻っぽかったなあと思います。あの映画を見たときは、私はマトリックスに行きたくなったし、なんか頑張ったら壁を登れそうな気がしたし、ブリッジしたら銃弾を避けられそうな気分になったものですが。

じゃあつまらない映画だったのか? といえば、そんなことはない。近未来サスペンス・アクションとしては良い出来なんですよ。かつてのティラノサウルスゴジラみらいなもんですな。そういうノリでやるのなら、日本の原作なんて使わない方がいいぞ、と思いました。