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映画「この世界の片隅に」感想

広島のとある田舎に生まれた少女が、呉に嫁ぎ、そこで生きていく話です。
たったそれだけの話でした。
戦前・戦中生活マメ知識、みたいなものがたくさん出て来て楽しいです。
で、そこに油断していると、やられますw

 

人類の世界において、偉人でも英雄でも何でもない私は、歴史に足跡を残すわけでも無く、誰にもなんの影響を与えることも無く、ただただ生まれて死んでいくだけの人生なわけです。というか、世の中はそういう人のほうが圧倒的に多いのです。良い悪いの話ではなく、単にそういうものだってことですね。

 

それならそれで淡々と日々が続けば良いのですが、歴史はときどき、人の世界の隅から隅までをガッサーとえぐり取るような出来事を発生させる。昭和初期を生きた人は、まさにそういう時代を生きた人なんだと思います。

 

でも、世界における個々の人間なんて、人体に例えれば細胞の一個にすぎません。えぐられた傷は埋めるしかない。淡々と埋めていくだけなんです。失われた細胞は痛いし、苦しいし、涙も出るけど、どれだけ嘆いたって日々は続くし自分は生きている。だから違う細胞とくっついて、生きて、埋めて、回復していくだけです。

 

「ケガをしたら、治るまで待つだけ。治ったらまた歩くだけ」という、多数の人間に共通した人生の歩みを、すずさんという一人の女性が代表して語ってくれていた映画でした。その説得力の強さには、共感の涙を流すしかなかったです。

 

物語において、人を泣かせる簡単な方法は、愛する人を死なせることですな。恋人や配偶者、子供やペットを死なせるのが簡単です。しかしこの映画の凄いところは、そんなことでさえも、人生の風景の一片にすぎないというところです。だから泣くところではない。私が泣かされたのは、むしろその次の段階でした。

 

目の前で命を奪われ、体に傷病を負い、同時に、のんびり屋にとってはとても大切だった、表現スキルまで奪われてしまったすずさん。さすがに病みかけたけど、それでも生きて回復していく。穴を埋めるように、旦那の世話をして、近所のおばちゃんと言葉をかわし、そして孤児を得る。

 

どれだけ深い傷であっても、人はそれをコツコツと埋めて、古い細胞を、痛みとともに非常にゆっくりと消しながら、おずおずと、そろそろと歩いていく……的な姿の、いじらしさ、けなげさ、そして強さに泣けました。人間はみな、いじらしいものだ、と思いました。

 

いや……、これが他の映画だったら、旦那は死んでる気がします。主人公の女性の不幸さ、悲惨さは強調されているでしょう。「どんな目にあったって、私は生きるんだから!」的なセリフをモロに怒鳴っているでしょう。BGMババーン。いやすぎる。

 

「こんな『この世界の片隅に』はいやだ」がアッサリと想像できてしまうくらいに、最近の邦画ってのはこういう、普遍的で当たり前な光景を描こうという感覚が欠落していた気がします。だから、この映画のヒットってのは、従来の映画技法への反発って側面もあると思いますよ。