映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」感想

人間の脳みそを機械の体にぶっこんだ女性が主人公です。その体は美人な白人女性で、めちゃくちゃ強いのです。生ける兵器と化した彼女は、しかしアイデンティティに悩みを抱えています。自分は人間なのか、機械なのか、自分はいったい何者なのか。

彼女はアメリカンな日本において、公安9課という、武闘派スパイ組織みたいなもんに所属しています。そこでとあるテロリストを追っているのですが、そのテロリストってのが、主人公の体を作った会社に恨みを持っているらしく。そんなやつなのに、なぜか記憶がうずいて親しみを覚えてしまう。

調べれば調べるほど、テロリストに近づけば近づくほど、会社への不信感はつのるし、テロリストには惹かれてゆく。ていうか真相がわかってみると、会社はとんでもない犯罪をおかしてました。主人公は許せんものを感じます。彼女は色々調べて、同時に自分自身を取り戻すのです。

で、ここまで書いたら、なんで不評なのかも分かるかとw ベクトルが逆です。攻殻ってのは最終的に、主人公が人間であることを捨ててしまう話です。「私は何?」という問いに対して、「おまえは世界だ」という問いを返す。それを言葉だけでなく、具体的に実践してしまう。

アニメ映画版をネタバレしますと、敵の正体はネットに自然発生した意識体で、主人公はそれと結合(結婚)して肉体を捨て、ネットの神のようなものになります。自己の意識が果てしなく拡散されて、無限に広がるようなオチの爽快感が気持ちよく、だから私は好きでした。

ですがこちらの映画はけっきょく、人間が人間のままであることを大肯定してしまう結論です。主人公のアイデンティティは、一人のとある具体的な人間の人格として落ち着きます。そりゃ別の話です。ヒューマニズム的には良いオチなんでしょうが、SFとしては失敗です。

決定的に「この映画わかってない!」と思ったのは、エンディングに「謡」を流しよったときです。結婚できなかった映画に結婚の歌を流してどうする! 嫌味か! そんな、クリスマスの喪男マライア・キャリーを聞かせるような真似をするんじゃない! と思いました。

SFってのはやっぱり、構築された理屈の美しさで魅せてくれるのが良いと思います。ヒューマニズムでは駄目です。見て、「な、なんて圧倒的な美しい理屈なんだ! 不謹慎なのに洗脳された!」と思わせて欲しいのです。それが有りませんでした。圧倒されませんでした。

そういう意味ではかつて見たマトリックスのほうが攻殻っぽかったなあと思います。あの映画を見たときは、私はマトリックスに行きたくなったし、なんか頑張ったら壁を登れそうな気がしたし、ブリッジしたら銃弾を避けられそうな気分になったものですが。

じゃあつまらない映画だったのか? といえば、そんなことはない。近未来サスペンス・アクションとしては良い出来なんですよ。かつてのティラノサウルスゴジラみらいなもんですな。そういうノリでやるのなら、日本の原作なんて使わない方がいいぞ、と思いました。