「花丸」第九話 感想

色々考えた結果、今回は二通りの視点を持って鑑賞しました。

 

1、ふだん通りの自分でもよくわからない私の視点
2、私は男で、アニメの男士は女性キャラや子供キャラだと思い込み、愛でる視点

 

そして鑑賞開始。まずは前半。
ぼくのかんがえた、ちょうとうけんだんし「マジルンルンご機嫌丸」をつくる話。

 

1の視点で見ると「うわー、なんか違和感でモニョモニョする」となったんですが、2の視点で見ると普通に見れました。
やっぱり花丸のストーリープロットって、男性視点で、女性萌えキャラを愛でるための構造になってるんじゃないでしょうか?
三日月が普通に良い人なので、そこに感情移入して、自分のために頑張ってくれる獅子王のかわいさ、滑稽さを愛でると楽しかったです。
しかしそういう視点を取っ払うと、やはり、どこに焦点を当てて楽しめば良いのかがわからないなあと思いました。

 

花丸の提示する可愛さ
・誰かのために一生懸命な子は可愛い(獅子王へのじっちゃんへの思い)
・熱中しすぎてやりすぎる子は可愛い(過剰な装飾を身にまとう)
・見え見えの失敗をしちゃう子は可愛い(三日月に正体バレバレ)

 

……獅子王が女の子で、大好きなおばあちゃんがいて、彼女と似通った人物である三日月子さんのために頑張る話なら、たしかに可愛いんですよ。
けどなあ。私が見たいのは「刀剣男士」だからなあ。

 

次に後半戦。
歴史好きな日本人ならほぼ誰もが知ってる、今剣と岩融の主の事情。

 

後半は2の視点が要らなかったんです。
普通に面白かった。やっぱりゲーム内の設定要素を前面に押し出してくれると納得できます。男士たちそれぞれの歴史的な事情を、アニメなりに解釈して解決してくれていました。楽しかったです。
そして照れる山姥切は普通に可愛かった。2視点が無くてもかわいかった。

 

と、いうわけで。
いつもふたつの流れがありますね。ひとつは既存の萌えキャラ表現に男士を当てはめた話。もうひとつはゲームを元にしたストーリーをかわいく作ったもの。これらを、毎回セットで提示してきてます。
私としては、既存の萌えキャラ表現に男士を当てはめるのは、非常に無理があると思うのですがねえ。

 

格好良く活躍した山姥切を褒めちぎる大和守は可愛かったし、兄弟思いな堀川の受け答えも可愛かった。真っ赤になる山姥切も可愛かった。こういうのが私は可愛いと思います。
でもその次の、山姥切の絵柄がギャグキャラ化するのは要らなかった。ふつうの絵柄のまま、真っ赤っかな顔で叫んでほしかった。きっととても可愛かっただろうに。……うまく説明できないんですけど、こういう微妙な「可愛さのズレ」を感じます。