「言の葉の庭」 感想

映像作品は、新しい技術を観客に見せたいとか、もの凄い映像を観客に見せたいとか、そういう意図でもって作られることがあります。この場合、ストーリーはシンプルなほうが良いのです。ハリウッド映画はそのへんが上手で、新技術を使ったもの凄い映像は、かならずシンプルなストーリーとともに提示されます。ジュラシックパークも、タイタニックも、マトリックスもそうでした。なんか暴れまわるもんをやっつけたり、惚れたり腫れたり、世界を救うヒーローになるだけです。これにより、余計なことに頭をつかわず、ただただ目に映る映像だけを楽しむことが出来ます。
日本映画はよく失敗します。イノセントという映画がありますね。あれ、映像が凄くて凄くて、あまりの美しさに口がポカーンと開いて顎が外れそうになります。が、残念なことに、ストーリーに凝っています。圧倒的な映像美を、暗く深いストーリーに乗せてしまったせいで、脳を快楽感情に染めきることができないというか。油たっぷりの松坂牛に、油たっぷりのフォアグラを乗せて食べたような、胸焼けして食いきれなかったような気分になるのです。そして先に挙げたマトリックスも、2、3、と進むにつれて、同じ失敗の轍を踏みます。攻殻機動隊マトリックスの関係を考えると面白い顛末です。映像作家には、凝ったストーリーへの誘惑というものがあるのかもしれません。

 

さて、言の葉の庭ですが、映像が美しい作品だとは聞いていました。しかしストーリーの解説を読むと、どのサイトを見てもボヤっとしている。そこに興味を惹かれて、見ることにしたのです。

やはり圧倒的な映像美です。我々の知っている日本が、何気ない日常の風景が、実はとんでもなく美しいものだったのだと解説されているような気分になります。駅のホームや雨の日の公園が、光り輝く芸術作品のように提示されます。
そんな世界の登場人物は、二人きりです。男子高校生とアラサー女性。二人は雨の日に、公園のあずま屋で出会います。なんとなく会話をかわし、互いに互いが気になって、雨の日のたびに会うようになります。
男子高校生の背景は少しづつ明らかになります。あまり良くない家庭事情、趣味、将来の夢、等々。アラサー女性の背景はずっと謎ですが、問題を抱えているらしい雰囲気はずっと提示されています。
そしてアラサー女性の正体が明らかになったとき、男子高校生は自分の恋心を自覚するわけですが……。

 

ってなかんじでストーリーは地味で、淡々としています。うるさいところが一切ありません。そのおかげで映像美をこれでもかと楽しむことが出来ました。ウメエウメエと食い続けて、視聴者である私はすっかり油断していました。
最後の最後に、ストーリーは、一種の爆発を迎えます。その心地よさといったら! どちらも何も悪いことはしていないのに、なにひとつ間違ってはいないのに、いやな方向に流されていかなければならない人生の不条理を、諦めることへの苦しみを、抑圧のむごさを、すっ飛ばされるのです。まさしく雨雲を切り裂く一筋の光のように、その、たったひとつのシーンだけで。
ここで私は、涙がブワーと出たわけです。「ああ、気づかなかっただけで、実は私、肩が凝ってたんだ。でもこの肩こりって、いま一瞬で吹き飛んだな」みたいな気分になりました。
映像作家には、濃ったストーリーへの誘惑というものがあるのかもしれませんが、すべてを凝りつくしたストーリーなんて重いだけです。小説だって起承転結があるからこそ面白いのであって、全部が転転転転では面白くありません。
この作品は、それをよく分かっている監督が、計算しつくして作った作品のように思えます。ストーリー的な凝りどころをワンポイントに絞ってくれたおかげで、非常に面白かった。気持ちよかった。すっきりした。


……君の名は、は、見るつもりはなかったんですが。見たくなってしまいました。