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「花丸」第八話 感想

前半。槍の三本がそろいます。

みな仲良しな本丸ですが、日本号と五虎退の仲に、歴史が理由で、ほんのちょいとわだかまりがある。
で、それを解消するべく、五虎退の好きな絵本に出てくる「青い鳥」を捕まえようとする話。

 

……なんかこんなネタを拙作で書いてたような気がw
そして、なぜか恥ずかしいものを感じてしまう。なぜでしょう。今回はミュージカルでもなんでもない回なのに。


ひとつ言えるのは、この話って、必然性が無いよな、ってことです。
青い鳥を持ってきたのはなぜか? 青い鳥が変なデザインだったのはなぜか? 肩車三錬結を槍3本でやるのはなぜか? 

 

かつてオランダから輸入された後、いまや日本中に生えている四つ葉のクローバーくらいならまだしも、青い鳥ってベルギー人の著作物ですからねえ。その本が、この本丸にある理由付けは必要だったと思うのですよ。
そして青い鳥がへんなデザインであることで、なんの効果を狙っているのかもわからない。笑え、ということでしょうけど、笑う理由がありません。どうしても捕まえたくなるような綺麗な鳥とか、五虎退が喜びそうな可愛い鳥とか、打ち取るにふさわしい体長2メートルの大鷲とかじゃいけなかったんでしょうか。


でもって、見た目が兄ちゃんからオッサンまでという落ち着いたイメージの槍三本が、ドタバタをやる必然性もわからない。ドジなことをする元気な少年のイメージを、良い体格の大人が演じることを笑えということでしょうか。でもそもそも、このアニメにおいて、私は彼らに出会ったばかりですので、彼らを笑う理由が無いのです。大人げないのが地なのか、偶然そう見えただけなのかもわからないのですよ。人間、知らないものは笑えません。

 

で、恥ずかしい違和感を引きずりつつ後半戦へ。
秋田が幽霊を見つけたので、短刀たちで夜の本丸を探索する話。
にっかり青江が助っ人をやります。

 

驚いたことに、アレッと思うくらい違和感がなかったのです。
夜の日本家屋で、子供がトイレに行こうとして、幽霊を見つけて、青江を呼んで……って、すごく自然な筋運びですよね。
戦隊ネタは、また面白くないリアルネタはやめなさいと思いましたが、それ以外はごくごく普通に、夜の男士たちのちょっとした行動を発見できた気分になれて、楽しかったです。
オチもきれい。左文字兄弟でほのぼのしたあと、小さな恐怖で落とす。そしてそのままエンディングへ……の流れが、気持ちよく、きれいで、格好いい。
いやすごい。見て得をした気分になりました。

 

この前半と後半の感慨の差は何なんでしょうか。
花丸の監督は、「男性的なもの」を描き出すのが苦手なんでしょうか。

 

あと毎度毎度ボロクソに書いてごめんなさい。これでもとうらぶ大好きなんです。愛するがゆえに小言を言うオカンみたいなもんだと思ってくだされば。

「花丸」第七話 感想

粟田口が、いち兄を求め、やがて得る話でした。
特に薬研が話の中心になってます。

 

短刀なのに短刀に見えない薬研について、「ゲームみたいに薬研の大人びたところと、逆にゲームには無い薬研の短刀らしいところと、その両方を見てみたい」ってな欲を満たしてくれる話でした。
付随して、ふんどしを履いた陸奥守のいいケツが見られますが、まああれこそは、正しく、視聴者サービスでしょうw
全体的にふんわりとした、優しい良い話でした。前回で傷ついた私の何かが癒されました。

 

ただ残念なのは、こういう話、二次創作でいくらでも有るんですね。
それが悪いというのではなくて、ありがちな話をやる以上は、やはり、こちらの想像を凌駕するなにかを提示してほしかったなあ、というところです。
たとえば、沖田総司の三段突きのテクニックとか、和泉守兼定の現存刀の状態を語っていた回が有ったでしょう。あれはゲームには無く、また二次創作でもあまり見られない描写です。あれが語られることによって、「おお、新撰組刀ってスゲーんだな。かれらは歴史を生きてたんだな。カッケ―」と、アニメ独自の新鮮な感覚を覚えられたわけですよ。
今回も、粟田口に関するなにかの豆知識とか、それで分かる彼らの絆の強さとか、そういうのが有ればよかったかな。
これは視聴者としてのワガママな批判にあたります。が、せっかくのアニメですもん。きれいな絵と、かっこいい声がついてるんですもん。なんかスゲーもんが見たいんですよ。

 

 ほかに良かったところは、いち兄。ゲーム中では派手だとされている彼ですが、私「そんなに派手か? 普通じゃん。次郎さんとかのほうが派手じゃん」と思ってました。
が、アニメで見たら本当に派手だったw そうか! こういう派手さだったのか! と、よくよく分かりました。金糸を使いすぎなんですね。光が当たるとキラキラするんですね。でもそれが秀吉っぽくて良いんですね。なるほど。花丸ありがとう。

 

AKBが出てきたときは、また半端なパロディを見せつけられるのかと身構えました。が、普通に楽しい歌が出て来て良かったです。
前回がトラウマになってるなw

 

「花丸」第六話 感想

注意! 今回、厳しい評価です。6話が好きな方は読まないほうが良いです。ご注意を。

 

 

 

苦痛でした……。私は「ミュージカルを見ると恥ずかしくなる病」を発症しているため、非常に苦痛でした。それでもふだん、恥ずかしさを吹き飛ばされて、ミュージカルに感動する時というのはあって、それは名画「雨に唄えば」とか、歌と音楽と世界への賛美がすさまじいような作品を見た時なんです。作り手の本気は、観客の戸惑いなど吹き飛ばします。


で、刀剣男士がミュージカルをやったら面白いだろうなあ、という軽い発想なのは分かるのですが、それがコメディやパロディとして成立するためには、事前に、

 

※男士たちは絶対にミュージカルなどしない人物である

 

という説明か、逆に、

 

※男士たちにはミュージカルをしたくてたまらない理由がある

 

という説明が必要だと思うのです。それが無かったですね。
なので、普通に歌うまいから、音痴を笑うわけにもいかず。アニメの世界において、食べ物作りをテーマにした歌なんてありふれていますから、歌のおかしさを笑うわけにもいかず。有名ミュージカルのパロディというわけでもなさそうだし、雰囲気だけは何かに似せてあるっぽいですが、なにを茶化しているのかもわからない。格好良いとも、可愛いとも、美しいとも思えないので、なにを楽しめば良いのかが分からない。
厳しいようですが、青臭い学生演劇を見せられているような気分になりました。恥ずかしかったです。

 

どうも花丸はギャグが半端でイカンと思います。
やるならとことんやれよ! と思います。タカラヅカをも超えるほどに華と花が吹き荒れた世界を見せてほしかった。あるいは、出来たうどん玉を高々と掲げ、うどんの殿の誕生だ! ハーヘンニャラ~とアレを感動的に歌い上げるサマが見たかった。そういう、プロにしかできない技が見たかったんです。
某アニメはパロディシーンが多くて人気があるそうですが、おそらく半端なパロはしてないんじゃないでしょうか? 本気のパロだからウケてるのでは。本気をぶつけてくれる、気概を感じさせてくれるって、大事だと思うのですよ。視聴者として舐められてないな、大切にされているな、と思えるから。

 

後半は好きだなあ。
博多のバブル期ビジネスマンのような言動は、ゲームでもそうだから違和感がないし、なんといっても可愛い。さわやか筋肉青年な山伏が、博多連続遠投を天丼で見せてくれたのも楽しかったです。二人のデコボコっぷりの落差と、それにもかかわらず同一である健気な意志は、ふつうに好ましく感じました。
御手杵20キロの豆知識は嬉しいし、大柄ゆえのどん臭さもいかにもってかんじで、可愛さを感じつつ許容できました。彼、なんかドジっぽいイメージが沸きますよね。なんででしょうね。
陸奥守は健全で優しくて、好奇心旺盛だと示されてるから、虹のきらめきも彼らしく感じられて笑いました。そして陸奥守の正しさ! 竜馬っぽさ! これが最後の大和守安定の悟りにも繋がるんですよね。いい展開です。

 

石切丸のお払いも、前田のお手紙も。やはりキャラのキャラらしさを示しつつネタにしてくれると、安堵と、ほっこりした笑いがこみ上げてきます。なのに前半は、長谷部とうどん関係ないもんなあ。燭台切の料理名人っぷりや、青江の味見は分かりますが。

 

エンディング曲のほうが、ミュージカルネタっぽい楽しさがあったと思います。

 

 

「花丸」第五話 感想

ホストクラブごっこの前半と、三日月な後半でした。

 

前半はなぁ。うーん……。私が男士に接待してもらうなら、服装は出陣着のほうがいいな。
なので男士たちのスーツ姿の似合わなさを笑えばいいのかと思えば、べつに似合ってなくもない。じゃあ似合ってるところに萌えれば良いのかと思えば、そこまで似合ってない。妙な接待を笑えば良いのだなとは分かるのですが、そこまで妙でもない。歌仙が名物を出したり茶を点てたりするのは普通に良い接待だし、山姥切はそもそも出てきた意味が分からない。石切丸を出して、「歓迎の祝詞を読むよ!」とかのほうがボケとしては成り立ったと思うのですが。薬研はそんなに不器用なキャラには見えないから、ボケに違和感を感じました。お供の狐はなぜ口を動かさないのでしょう? 人語を器用にしゃべるキャラとして、パクパクと喋ってほしかったのですが。
で、鶴丸と燭台切をオチに持ってきての、昔馴染みはいいもんだなあ、みたいな結部は好きです。けど、そこまでの流れが……。ふつうに全キャラのスーパーダーリンっぷりを発揮させて、大倶利伽羅に地獄を味合わせ、そしてこのオチに持ってきた方が良かったと思うなあ。

 

後半はね! 大好きですw
三日月に対して思う、
「このキャラにはなんらかの特別感を発揮してほしい……とうらぶの看板キャラだしな……でもだからといって、ほかのキャラを下げたり、贔屓なほど突出してたりしたら嫌だなあ……」
というややこしい思いを! 絶妙なツボを! 見事に突いてくれた!
格好いいけど気取らない。思春期のような加州の繊細な思いを汲み取ってくれるところも良い。きれいで格好いい三日月と、かわいい加州の相乗効果が素晴らしかった。これが! これが見たかったんだー! と思いました。

 

うん。花丸って、キャラを大切にしてるのはよくわかります。コメディってある意味、キャラを手ひどく扱わねばならない部分が有るから、そういう描写を避けているがゆえに出てくる批判点かもしれません。前半の感想は。

「花丸」第四話 感想

かつて司馬遼太郎の洗脳を受けた私としては、これの前半を評価せずにはおられないわけですよ。

兼さんと国広の関係性は、物語世界の新撰組における、歳さんと沖田の関係性に思えます。
史実の沖田は資料が少なく、どんな人物だったかはよくわかっていません。少なくとも薄幸の美少年タイプではぜったいになく、新撰組の中でも特に土方と仲が良かったわけでもないらしい。そのへんのロマンは司馬さんが添付したものです。
だからでしょうね。和泉守兼定や長曽祢虎徹が、いかにも新撰組の物語世界に出てくる土方歳三近藤勇っぽい人物像にあるのに対して、加州清光や大和守安定がそんなでもないのは。それでも大和守安定には物語上の沖田っぽい雰囲気が有るけど、加州清光はぜったいに違いますね。そこを堀川国広で代理させたんじゃないかというのが私の想像です。

 

後半は、お笑いで言うところの「天丼」ですね。あんまり印象無いなw 私だったら、もっと違う品物を買わせるけどなあ。

「君の名は。」感想

非常に複雑な要素を大量に含んだ映画だと思いました。それを男女の恋愛という、一本のラインでしっかりとまとめてある。とても素晴らしかったです。
 
人間は人との結びつきを、次のように深めていきます。

 

1、目で相手を見て、顔や姿を知る
2、一緒の時間を過ごして、立ち振る舞いを確認する
3、言葉をかわして性格を知る
4、体を接触させる

 

4がさらに深いのが恋人関係になるわけですが、この映画の登場人物ふたりは、初っ端に4からのスタートになるわけです。いきなり相手の体そのものになる。相手のチンもチチも手に接触させるどころか、あたかも自分のもののように、というか自分のものとして、持っている。触り放題の見放題です。
なのに顔や姿は鏡でしか確認できず、立ち振る舞いも、周りの人間からの「おまえってこういうやつなのに、今は変だぞ?」という反応でしかわからない。非常に制約された状況において、会話はなんとか大量にこなすけれど、文字情報のみです。
つまり、最大条件である4をいきなりクリアしているので、最初から条件だけは深い恋仲なのに、事前条件のすべてがすっ飛ばされているせいで、気持ちがついていかないような状態なんですね。

 

次に、少女の持つファンタジー性。この世界においては、運命論が採用されています。それをよく語ってくれるのが少女で、彼女は家柄や血筋の力により、糸のように少年と運命をつなげています。最初から二人は恋人になる運命なのです。が、やっぱり理屈がなりたたない。恋人関係を構築する土台ができあがってないから、気持ちがついていかないような状態です。
現代モノにおける運命論やら特殊能力的なものは、語り方を間違えるとご都合主義に思えてしまいますが、この映画はそのへんの説明が非常にうまいです。このことは次に。

 

魂と肉体の二元論も採用されています。それを語ってくれるのは脇役たちです。
魂に性は無いわけです。だから少女の魂を持った少年の柔らかいふるまいには、同級生の男子がうっかりときめいちゃったり、バイト先の先輩が心惹かれちゃったりします。これで少女の魂の美しさ、魅力が説明されます。
そして少女の魂を持った少年は、手芸スキルを発揮するわけですが、このシーンがあらわすのは、ありがちな「先輩の服のほつれを縫ってあげる程度の女子力」ではありません。それなら私としては鼻白んでしまいます。が、この映画においては、少女はもともと糸の神秘性を伝える家柄の生まれであり、家業として糸を扱うのがうまいのです。その力を、家の仕事以外のところで発揮しているだけですから、これは本当に、特技を生かして助けてあげたいという純粋な思いだな、と、見ていて納得できます。それを見た先輩が心惹かれるのもわかるのです。
一方、少年の魂を持った少女は、肉体を変えても発揮させる、行動力の強さを見せてくれます。彼の強さはいじめっ子たちの口を封じ、後輩女子をときめかせます。それだけでなく、田舎の若者たちが感じていた、思春期独特の閉そく感、つまらないと錯覚しがちな日常感に、疑問を呈してくれるのです。それは本当は、見慣れすぎていてわからないだけで、とても美しいものではないか? ちょっと見方を変えてみれば、ちょっとアプローチを変えてみれば、とても楽しい価値ある日々になるのではないか? と。
このへんの説明は非常にうまいです。セリフで説明するのではなく、シーンで説明してくれるので、見ていてスッと納得できます。

 

こうして条件が整い、少年の、先輩とのデートをきっかけにして、二人は恋心を自覚するわけです。ただしそれはシンプルな恋、分かりやすい惚れた腫れたではなくて、どちらかといえば、


「自分たちは、恋人になる運命なのに! きちんと恋をしたいのに! なんでさせてくれないんだ!」


というかんじです。いびつなのです。

そこで発揮される少年の行動力。彼は彼女を求めて動き回ります。このいびつな状況を乗り越えるためには、夢ではなく、現実で「会う」しか方法は無いわけですから。
そして、いったいなにが、彼らの結ばれるべき運命を邪魔しているかを知るのです。
この衝撃はすごかったです。

 

 

面白かったです。あえて批判を入れるなら、最後の長さかな。ラスト近くに、やっと出会いそうな、すれ違いそうなシーンが長く続くわけですが、私は見ていて、「ひょっとして、彼らは出会えないかもしれない」なんてみじんも思わなかったのです。だからドキドキもハラハラもしませんでした。だってこの段階になるともう、私は監督を信頼しきっていましたから。この監督は客に対して、そんなひどいことをする人じゃないな! と。

二人の恋がきちんと始まるのは幕が下りた後です。その後を想像するのも楽しいですね。

 

 

「花丸」第三話 感想

昔話モチーフ回ですね。
こういうネタ大好きです。

 

前半は平野藤四郎のわらしべ長者
品々の交換とともに、各キャラのらしさが表されます。
キャラ紹介という意味では、第一回と似ていますが、今回は極端化はされていません。いかにも有り得る、キャラらしい表現を並べてあるかんじなので、違和感もなく、楽しかったです。

 

次は花咲か爺さん。
男士たちが協力して木に花を咲かせます。
花の咲かせ方が、ちょっと詩的で、ちょっとせつない。画面の中で、その切なさを感じ取り、見ている私に示してくれたのが、やはり安定のJK大和守。彼の安定感は本当にいいなあと思います。

 

面白かったんですが、今回は批判も入れてみます。好みの問題ではあるのですが。
一部のギャグを邪魔に感じます。
洗濯物フワフワも、催眠術も、梶井基次郎も、ちょっとメタ的なネタなんですよね。
せっかく古びた温かい世界観に浸っているのに、ギャグにより現実に引き戻されてしまうことがありました。これは、よくないギャグのような気がします。

同じささやかな笑いなら、むっちゃんの「文明開化の味がする」のほうが、はるかに気持ちよかったです。だってキャラにも、世界観にも合ってるから。

 

でもまあ、贅沢ってもんです。
楽しいですよね花丸。