「花丸」第四話 感想

かつて司馬遼太郎の洗脳を受けた私としては、これの前半を評価せずにはおられないわけですよ。

兼さんと国広の関係性は、物語世界の新撰組における、歳さんと沖田の関係性に思えます。
史実の沖田は資料が少なく、どんな人物だったかはよくわかっていません。少なくとも薄幸の美少年タイプではぜったいになく、新撰組の中でも特に土方と仲が良かったわけでもないらしい。そのへんのロマンは司馬さんが添付したものです。
だからでしょうね。和泉守兼定や長曽祢虎徹が、いかにも新撰組の物語世界に出てくる土方歳三近藤勇っぽい人物像にあるのに対して、加州清光や大和守安定がそんなでもないのは。それでも大和守安定には物語上の沖田っぽい雰囲気が有るけど、加州清光はぜったいに違いますね。そこを堀川国広で代理させたんじゃないかというのが私の想像です。

 

後半は、お笑いで言うところの「天丼」ですね。あんまり印象無いなw 私だったら、もっと違う品物を買わせるけどなあ。

「君の名は。」感想

非常に複雑な要素を大量に含んだ映画だと思いました。それを男女の恋愛という、一本のラインでしっかりとまとめてある。とても素晴らしかったです。
 
人間は人との結びつきを、次のように深めていきます。

 

1、目で相手を見て、顔や姿を知る
2、一緒の時間を過ごして、立ち振る舞いを確認する
3、言葉をかわして性格を知る
4、体を接触させる

 

4がさらに深いのが恋人関係になるわけですが、この映画の登場人物ふたりは、初っ端に4からのスタートになるわけです。いきなり相手の体そのものになる。相手のチンもチチも手に接触させるどころか、あたかも自分のもののように、というか自分のものとして、持っている。触り放題の見放題です。
なのに顔や姿は鏡でしか確認できず、立ち振る舞いも、周りの人間からの「おまえってこういうやつなのに、今は変だぞ?」という反応でしかわからない。非常に制約された状況において、会話はなんとか大量にこなすけれど、文字情報のみです。
つまり、最大条件である4をいきなりクリアしているので、最初から条件だけは深い恋仲なのに、事前条件のすべてがすっ飛ばされているせいで、気持ちがついていかないような状態なんですね。

 

次に、少女の持つファンタジー性。この世界においては、運命論が採用されています。それをよく語ってくれるのが少女で、彼女は家柄や血筋の力により、糸のように少年と運命をつなげています。最初から二人は恋人になる運命なのです。が、やっぱり理屈がなりたたない。恋人関係を構築する土台ができあがってないから、気持ちがついていかないような状態です。
現代モノにおける運命論やら特殊能力的なものは、語り方を間違えるとご都合主義に思えてしまいますが、この映画はそのへんの説明が非常にうまいです。このことは次に。

 

魂と肉体の二元論も採用されています。それを語ってくれるのは脇役たちです。
魂に性は無いわけです。だから少女の魂を持った少年の柔らかいふるまいには、同級生の男子がうっかりときめいちゃったり、バイト先の先輩が心惹かれちゃったりします。これで少女の魂の美しさ、魅力が説明されます。
そして少女の魂を持った少年は、手芸スキルを発揮するわけですが、このシーンがあらわすのは、ありがちな「先輩の服のほつれを縫ってあげる程度の女子力」ではありません。それなら私としては鼻白んでしまいます。が、この映画においては、少女はもともと糸の神秘性を伝える家柄の生まれであり、家業として糸を扱うのがうまいのです。その力を、家の仕事以外のところで発揮しているだけですから、これは本当に、特技を生かして助けてあげたいという純粋な思いだな、と、見ていて納得できます。それを見た先輩が心惹かれるのもわかるのです。
一方、少年の魂を持った少女は、肉体を変えても発揮させる、行動力の強さを見せてくれます。彼の強さはいじめっ子たちの口を封じ、後輩女子をときめかせます。それだけでなく、田舎の若者たちが感じていた、思春期独特の閉そく感、つまらないと錯覚しがちな日常感に、疑問を呈してくれるのです。それは本当は、見慣れすぎていてわからないだけで、とても美しいものではないか? ちょっと見方を変えてみれば、ちょっとアプローチを変えてみれば、とても楽しい価値ある日々になるのではないか? と。
このへんの説明は非常にうまいです。セリフで説明するのではなく、シーンで説明してくれるので、見ていてスッと納得できます。

 

こうして条件が整い、少年の、先輩とのデートをきっかけにして、二人は恋心を自覚するわけです。ただしそれはシンプルな恋、分かりやすい惚れた腫れたではなくて、どちらかといえば、


「自分たちは、恋人になる運命なのに! きちんと恋をしたいのに! なんでさせてくれないんだ!」


というかんじです。いびつなのです。

そこで発揮される少年の行動力。彼は彼女を求めて動き回ります。このいびつな状況を乗り越えるためには、夢ではなく、現実で「会う」しか方法は無いわけですから。
そして、いったいなにが、彼らの結ばれるべき運命を邪魔しているかを知るのです。
この衝撃はすごかったです。

 

 

面白かったです。あえて批判を入れるなら、最後の長さかな。ラスト近くに、やっと出会いそうな、すれ違いそうなシーンが長く続くわけですが、私は見ていて、「ひょっとして、彼らは出会えないかもしれない」なんてみじんも思わなかったのです。だからドキドキもハラハラもしませんでした。だってこの段階になるともう、私は監督を信頼しきっていましたから。この監督は客に対して、そんなひどいことをする人じゃないな! と。

二人の恋がきちんと始まるのは幕が下りた後です。その後を想像するのも楽しいですね。

 

 

「花丸」第三話 感想

昔話モチーフ回ですね。
こういうネタ大好きです。

 

前半は平野藤四郎のわらしべ長者
品々の交換とともに、各キャラのらしさが表されます。
キャラ紹介という意味では、第一回と似ていますが、今回は極端化はされていません。いかにも有り得る、キャラらしい表現を並べてあるかんじなので、違和感もなく、楽しかったです。

 

次は花咲か爺さん。
男士たちが協力して木に花を咲かせます。
花の咲かせ方が、ちょっと詩的で、ちょっとせつない。画面の中で、その切なさを感じ取り、見ている私に示してくれたのが、やはり安定のJK大和守。彼の安定感は本当にいいなあと思います。

 

面白かったんですが、今回は批判も入れてみます。好みの問題ではあるのですが。
一部のギャグを邪魔に感じます。
洗濯物フワフワも、催眠術も、梶井基次郎も、ちょっとメタ的なネタなんですよね。
せっかく古びた温かい世界観に浸っているのに、ギャグにより現実に引き戻されてしまうことがありました。これは、よくないギャグのような気がします。

同じささやかな笑いなら、むっちゃんの「文明開化の味がする」のほうが、はるかに気持ちよかったです。だってキャラにも、世界観にも合ってるから。

 

でもまあ、贅沢ってもんです。
楽しいですよね花丸。

「言の葉の庭」 感想

映像作品は、新しい技術を観客に見せたいとか、もの凄い映像を観客に見せたいとか、そういう意図でもって作られることがあります。この場合、ストーリーはシンプルなほうが良いのです。ハリウッド映画はそのへんが上手で、新技術を使ったもの凄い映像は、かならずシンプルなストーリーとともに提示されます。ジュラシックパークも、タイタニックも、マトリックスもそうでした。なんか暴れまわるもんをやっつけたり、惚れたり腫れたり、世界を救うヒーローになるだけです。これにより、余計なことに頭をつかわず、ただただ目に映る映像だけを楽しむことが出来ます。
日本映画はよく失敗します。イノセントという映画がありますね。あれ、映像が凄くて凄くて、あまりの美しさに口がポカーンと開いて顎が外れそうになります。が、残念なことに、ストーリーに凝っています。圧倒的な映像美を、暗く深いストーリーに乗せてしまったせいで、脳を快楽感情に染めきることができないというか。油たっぷりの松坂牛に、油たっぷりのフォアグラを乗せて食べたような、胸焼けして食いきれなかったような気分になるのです。そして先に挙げたマトリックスも、2、3、と進むにつれて、同じ失敗の轍を踏みます。攻殻機動隊マトリックスの関係を考えると面白い顛末です。映像作家には、凝ったストーリーへの誘惑というものがあるのかもしれません。

 

さて、言の葉の庭ですが、映像が美しい作品だとは聞いていました。しかしストーリーの解説を読むと、どのサイトを見てもボヤっとしている。そこに興味を惹かれて、見ることにしたのです。

やはり圧倒的な映像美です。我々の知っている日本が、何気ない日常の風景が、実はとんでもなく美しいものだったのだと解説されているような気分になります。駅のホームや雨の日の公園が、光り輝く芸術作品のように提示されます。
そんな世界の登場人物は、二人きりです。男子高校生とアラサー女性。二人は雨の日に、公園のあずま屋で出会います。なんとなく会話をかわし、互いに互いが気になって、雨の日のたびに会うようになります。
男子高校生の背景は少しづつ明らかになります。あまり良くない家庭事情、趣味、将来の夢、等々。アラサー女性の背景はずっと謎ですが、問題を抱えているらしい雰囲気はずっと提示されています。
そしてアラサー女性の正体が明らかになったとき、男子高校生は自分の恋心を自覚するわけですが……。

 

ってなかんじでストーリーは地味で、淡々としています。うるさいところが一切ありません。そのおかげで映像美をこれでもかと楽しむことが出来ました。ウメエウメエと食い続けて、視聴者である私はすっかり油断していました。
最後の最後に、ストーリーは、一種の爆発を迎えます。その心地よさといったら! どちらも何も悪いことはしていないのに、なにひとつ間違ってはいないのに、いやな方向に流されていかなければならない人生の不条理を、諦めることへの苦しみを、抑圧のむごさを、すっ飛ばされるのです。まさしく雨雲を切り裂く一筋の光のように、その、たったひとつのシーンだけで。
ここで私は、涙がブワーと出たわけです。「ああ、気づかなかっただけで、実は私、肩が凝ってたんだ。でもこの肩こりって、いま一瞬で吹き飛んだな」みたいな気分になりました。
映像作家には、濃ったストーリーへの誘惑というものがあるのかもしれませんが、すべてを凝りつくしたストーリーなんて重いだけです。小説だって起承転結があるからこそ面白いのであって、全部が転転転転では面白くありません。
この作品は、それをよく分かっている監督が、計算しつくして作った作品のように思えます。ストーリー的な凝りどころをワンポイントに絞ってくれたおかげで、非常に面白かった。気持ちよかった。すっきりした。


……君の名は、は、見るつもりはなかったんですが。見たくなってしまいました。

「花丸」第二話 感想

本能寺に織田刀が行きます。長谷部、宗三、薬研が、それぞれの思いをなんとなく語り合います。でもまあ、歴史ってそういうもんだよね、的な、優しい諦観でもって話は終わります。

 

2回目ですから、特に大げさな表現もなく、また見るほうもキャラへの違和感に少し慣れてますから、素直に楽しめました。

大和守安定の、狂言回しとしての安定感がとても気に入りました。例えるなら、「私、大和守安定子、本丸高校に通う17歳の女子高生」といったかんじの立ち位置で、ピュアな視点から物語を解釈し、それを見るほうに届けてくれます。昔の主が嫌いなの? とか、もし生きていたら嬉しい? とか、こう、視聴者の素朴な疑問を語ってくれる役。そして加州はイケメンの幼馴染のごとく、まったく安定子は仕方が無いな、そんな簡単なものじゃないよ、と、視聴者のツッコミを代弁してくれます。

この二人は花丸キャラとして違和感もなく、安定(ヤスサダではなく、あんてい)しているように思います。今のところお気に入りかな。


たぶん物語が進むにつれ、大和守の葛藤も深まり、最後には沖田くんへの思いをどうにかするんでしょう。それでいいと思うんです。ていうか、そういうのでいい。そういうのこそ、良いんです。素直にストレートに進んでおくれ頼むから。変な工夫はいらんのです。

ファンのための作品ということでは非常に良いと思います。次回も楽しみだなあ。

「花丸」第一話 感想

第一話であると同時に、キャラクターの紹介回ですね。

あの数多いキャラクターを、短いセリフでズバっと紹介していってます。こいつはこういうヤツな! ってかんじで。

極端化されてます。蜂須賀はナルシスト! とか、石切丸はボケてる! とか。そんなかんじで、キャラクターを明るく極端化した結果、若干の違和感もあるんです。

特に長谷部w 長谷部ってこんなんだっけ? 茶坊主を切ってない気がする長谷部です。信長を恨んでない気もします。戦場で斬られても笑わない長谷部じゃないかしら。

コメディリリーフに使うかー、という感想です。この立ち位置に誰を持ってくるかは気になってたんですが、長谷部とは思わなかったなあ。

ただ、もとの長谷部らしい長谷部だと、花丸の雰囲気には合わないですねたしかに。かといって人気キャラだから使わないのも勿体ない。それで、ということかな?

まだストーリーが始まってないですから、感想らしい感想も無いですが。ひとつ言えることは、花丸の男士たちは幸せそうで良いですね。「妙な工夫はせぬ! 楽しめ!」とでもいうような潔さも感じました。素敵です。

次回も楽しみです。